Optical Review and KOGAKU, Webnews
南 正名さんの死を悼む
南 正名さんが本年(2017年)6月に亡くなられた。まだ75歳の若さであった。南氏は東京大学で私の2年後輩で、東大工学部計数工学科の大学院修士課程では、故田中俊一先生の研究室で、レーザーホログラフィーの研究をしておられた。ホログラフィーを情報工学の視点から理論的に取り扱ったのが彼の修士論文であった。当時は、「ホログラフィーが作れた」ということ自体が新鮮なニュースの時代であった。当時の思い出として、彼が写真乾板のγ値による非線形応答を計算し、関連したテーマで論文を投稿しようとしていた他の研究者のミスを発見し、その研究者が自分の論文投稿をとりやめるに至ったことが印象に残っている。修士課程修了後、1965年に東芝に入社してからも、ホログラフィーに強い関心を持ち続け、「ホログラフィ若手研究会」の中心メンバーとして活躍された。東芝では、光を含めた情報関係の開発・企画に取り組み、ICO1984(札幌)ではホログララフィーによるマスク検査の論文を発表した。1980年代、当時東大の生産技術研究所(生産研)にいた私のところに東芝の大勢の関係者とともに来られ、「光磁気メモリー」の研究依頼を受けた。自分の研究室のキャパの問題で、南氏の意向に十分に応えられなかったのを、今でも申し訳なく思っている。1993年からは、東芝研究開発センター情報・通信システム研究所長他の要職を務められた。2001年に東芝定年退職後は(株)アルパインに入社され、2010年まで取締役などを務め、その間ベンチャー会社の手伝い、静岡大学との共同で研究論文も発表するなど、意欲的に活躍された。
学会活動としては、1991年から2年間、「光学」の編集委員長を務め、また「Optical Review」の創刊に尽力された。
南氏の若い頃は、光学は学問としての色彩が強く、今日のように工学として確立されていない時代であった。そのような時代に、大企業において光の研究開発を進めることはなかなか大変であったと思う。光産業の草分け時代を歩んだ先達の一人であった。
南氏は早くから母子家庭で育てられたこともあってか、非常に優しい気持ちの持ち主であった。人間関係を大切にし、先輩を立て、後輩にもいろいろ気配りし、いつも笑顔を絶やさなかった。私生活ではスポーツを愛し、特にマラソンは青梅マラソンに出場する程のレベルであった。2年前に患った白血病がこの4月に再発し、惜しくも亡くなられた。心よりご冥福をお祈りします。
芳野俊彦(群馬大学名誉教授、開成中学高等学校元校長)